STORY

仏教界のカリスマ・空海も一人の人間だったんだ、と気づかされる1冊

ホテルで1冊

旅先やホテル滞在中に読みたい書籍を、さまざまな方の視点から紹介する連載。

Vol.6 選書:名越 康文さん(精神科医)

 精神科医として、コメンテーターとして、さらに数々の著作を世に出している名越康文さんは、48歳の頃、精神的危機に見舞われて、ご本人曰く“奈落の底に落ちた”という。当時は順風満帆で充実した日々を過ごしていたように見えたのに、なぜ…? そして、その危機を乗り越えた名越さんお薦めの1冊とは…?

数年越しで効いてきた…!大阿闍梨様の言葉

 精神的に奈落に落ちた頃の僕は、自分はこれ以上人間として成長できないのでないか、という不安に苛まれ、これから何を人生の指標にして生きていったらいいのだろうか、と迷いと苦しみのどん底にいたんです。そんな時、ある真言宗の寺の大阿闍梨だいあじゃり様とのご縁をいただきました。以降、その方を慕って16年間、月に2回、必ずその寺をお訪ねしました。

 大阿闍梨様は朝夕2時間以上かけて、広い境内の全てのお堂を巡って、仏様を拝まれるのですが、その間、僕は後方の畳の上に座ってご一緒させていただくんです。僕一人の時もありますし、多い時は10人ぐらいの方が来られる時もあり、ぞろぞろと大阿闍梨様について境内を回るんです。“そろそろ疲れましたね、休憩でもしましょうか”と仰ると、今度は仏教についての質問や悩みを聞いてくださいます。その時の問答の意味はすぐにはわからないことが多かったですね。でも、ある時、その言葉がポーンと胸や腹に入ってきて、その意味が自分なりに沁みてくるということがあったんです。もうね、数年越しでドーンと臓腑に効いてくる感じ(笑)。本気の修行を長年経られた方の言葉は違います。命まるごとというか、すごい迫力でこちらに入ってくるんだなあと思いました。お寺に行く時は気持ちが重く沈んでいるのに、帰りは気持ちがスーっと軽くなっていることもしばしばありました。自分の家や職場以外に、僕にはお寺という大切な場所がある、そこへ行けばこんなに気持ちがスカーッとする!ということに気づいて、それに支えられました。少しずつ、回復し、やがて前以上に溌剌はつらつとしてくるようになりました。

 実は僕と仏教の出会いはもっと若い頃で、大学生の頃、内科医だった祖父に勧められた『仏陀』(増谷文雄著)という本を読んだのが始まりです。その時はまだ本に書かれている内容はよく分からなかったのですが、それ以来、仏教はいつもどこか身近にありました。そういう素地があったから、大阿闍梨様の言葉の一つひとつが心身に染み込んできたのかもしれません。大阿闍梨様の教えの向こうには必ず、空海の教えがあったのだと今なら分かります。

人間・空海を、その生き様を身近に感じる

空海は嵯峨天皇から東寺を下賜され、高野山を修禅の場、東寺を宣布や鎮護国家の場として造営した。空海が右手に握りしめているのは「金剛杵(こんごうしょ)」と言い、空海が当時の唐で学んだ密教の教えを象徴する仏具。
イラスト/塩川 いづみ

 今回、お薦めする『眠れないほど面白い 空海の生涯』は、平安時代初期の仏教界のカリスマ、名僧・空海の生涯を等身大で描く1冊です。たとえば青春時代の空海は凄まじく悩んで絶望して、一方で勉学への熱情の炎を内に抱えている。ああ、彼もまた、一人の人間だったのだなあと思えて、すごく身近に感じることができます。もちろんフィクションの部分もありますが、著者は隅々まで非常に綿密に歴史的史実に基づいて空海の足跡を追っています。その裏付けがあるからこそ、思春期から大人へ、さらには日本仏教の中心人物へと歩みを続ける人間・空海が見事に描かれていて、まさに寝る時間を惜しんで読みたくなる1冊です。

 嵯峨天皇のもとで、真言密教の根本道場たる東寺を開創し、全国に真言宗を広め、上りつめるところまで上ったはずの空海ですが、50代半ばにあっさりとその地位と権力を捨てて、高野山に行ってしまいます。その頃の高野山といえば、おそらくまだまだ土地の整備も整わないような山奥で、それこそおいそれと帰ってこられないような場所だったと思うんです。輝かしい栄耀(えいよう)栄華(えいが)を捨てて深山に行ってしまうなんて、世界の歴史上の人物でこんなことをやってのけた人は、僕は空海の他にあまり知りません。空海のことを精神的支えにしていた嵯峨天皇は都に戻ってほしいと何度も懇願しますが、空海は“高野山に居ながらにして、一切の仏事を成す”と断るんです。“全ての世界、この国の平和、そして嵯峨天皇の政治が上手くいくように、高野山でちゃんと拝んでいます”ということなんでしょうか。あまりに謙虚で、潔く清々しく、胸のすくような場面ですが、人間・空海が自身の人生をどう切り拓き、力強く生き抜いていったのか、ページをめくるほどにその姿が立ちのぼってくるような気がします。

仏教はどう生きるか、どう死ぬかということを教えてくれるもの

 この本の中で心惹かれたシーンの一つとして、空海が大日経というお経と出会い、その経文の中に真理を見出すも完全な理解に及ばず、命懸けで唐への渡航を志す場面があるのですが、その空海の運命を決定づけた大日経の中に大変有名な“三句の法門”という教えがあります。三句の法門”とは、「菩提心」、「大悲」、「方便」のことを指しますが、現代風にいえば、心はどこまででも成長するものだから、小さな自分という枠を超えて成長しようと決心するのが「菩提心」。その為には全ての人々の中に秘められている悲しみに共感しましょうというのが「大悲」。最後に悲しみにくれる人を慰めたり助けたりして生きましょうというのが「方便」。この三つの教えを毎朝誓って一日を過ごせば、運は拓け、必ず満足のゆく人生になるという教えです。

 人が満足して、生きて、死ぬ方法を説いているのが仏教だと僕は思います。1日1日をできるだけ充足させて、そして死ぬ時にも満足して、これで良かったと思って死ぬ。「どう生きるか、どう死ぬか」ということを教えてくれるのが、仏教の本質ではないでしょうか。この本は空海という偉大な人物の人生に触れ、それを通じて仏教の生きた教えを学ぶ手がかりになると思います。できれば、日常生活や仕事から少し離れて、旅先のホテルでゆったりとした時間の中で読んでもらえたらと思います。もちろん、スマホも消してください(笑)。頭も心も体も空っぽにして、静かにポカーンとした状態で読んでもらうと、いろいろな言葉がスーっと入ってきますよ。そう、大阿闍梨様の言葉のように…。もちろんすぐにその意味が分からなくてもいいんです。スーパーマンでもヒーローでもない、一人の生身の人間、空海とまず出会ってほしい。日本人の中にこんなに高い志の人がいたのかと思えば、ちょっと勇気をもらえませんか?当時も今のように生きづらい世の中だったはずです。そんな世を一陣の風のように吹き抜けていった素晴らしい一人の人間の物語をぜひ読んでみてください。

『眠れないほど面白い 空海の生涯』(由良弥生著 三笠書房)

奈良、長岡、平安と都が変転する世に傑物、空海が時代を駆け抜ける。エリート官僚への道を捨て、山林修行により大日経と出会い、渡唐の後に高野山の開創や東寺での教宣活動など数々の偉業を成し遂げた、弘法大師空海の波瀾の生涯を描きます。生身の空海と、空海の生きた時代の景色がリアルに見えてくる1冊。

名越 康文(なこし・やすふみ)

1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学、龍谷大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立精神医療センターにて精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。主な著書に『驚く力』(夜間飛行)、『自分を支える心の技法』(医学書院)、『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書)などがある。「名越康文シークレットトークYouTube分室」も好評。チャンネル登録約20万人(2025年9月現在)。夜間飛行よりメールマガジン「生きるための対話」、通信講座「名越式性格分類ゼミ(通信講座版)」配信中。

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