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“先生”が座っていたリーチバーの「あの席」

ロイヤルな舞台

創業より80余年、ロイヤルホテルの歴史や、文学や映画で描かれたエピソードなど、ロイヤルを舞台にした物語の数々をご紹介します。

「今でもリーガロイヤルホテルのロビーに入ると、先生がいるような気がするんですね」と、音楽評論・出版社経営の二刀流で活躍する岩野いわの裕一ゆういちさん(実業之日本社 代表取締役社長)は語る。「先生」とは大阪フィルハーモニー交響楽団(以下「大フィル」)創立名誉指揮者・朝比奈あさひなたかし氏(1908〜2001)のことだ。

 朝比奈氏は東京に生まれ、京都帝国大学法学部に進んだがオーケストラに熱中、プロの指揮者となった。93歳で亡くなる2カ月前まで大フィルの指揮台に立ち続け、ブルックナー、ベートーヴェンなどの重厚な演奏で関西のみならず日本中を魅了した。大フィル草創期には自らスポンサー集めに走り回り、自らの稼ぎもすべて楽団運営に注ぎこんだ。スマートでダンディだが豪快な親分肌であり、楽員からは「おっさん」、若いファンからは「先生」と慕われ、交友範囲は芸術家から経済人まで幅広かった。

撮影:飯島隆

 学生オケでファゴットを吹いていた岩野さんは、東京のオーケストラに客演した朝比奈氏の指揮に魅せられ、その軌跡を追うことがライフワークになった。

 朝比奈氏は戦時中、ヨーロッパから逃れたユダヤ人音楽家が集まった旧満州のハルビンで指揮者をしていたが、1995年、テレビ番組の収録で約50年ぶりに訪れた。このとき岩野さんも同行取材。99年に朝比奈氏や香蘭こうらん甘粕あまかす正彦まさひこなどが登場するノンフィクション『王道楽土の交響楽』(音楽之友社)を上梓し、「第10回出光音楽賞」を受けた。

 朝比奈氏は神戸に居を構えていたがリーガロイヤルホテル(大阪)を愛用、阪神淡路大震災で被災した際にも滞在した。大フィルの演奏会も何度か開催されている。

「朝比奈先生がリーチバーをお好きだというのは、大フィルの方々からよく聞いていました。でも、私は下戸だったし、何か畏れ多くて、先生と酒席を共にしたことはありません。一度だけ、大阪の西成の練習場でのリハーサルのあとに『ロイヤルまで行くから乗っていきなさい』と言われて同乗したことがあったんですが、颯爽とロビーに入られるのを車の中から見送っただけでした。今思うともったいない話です」(岩野さん)

 リーチバーでの朝比奈氏はどんな感じだったのだろう?リーガロイヤルホテル(大阪)マスターバーテンダーで、大阪府から「なにわの名工」にも選ばれた古澤ふるさわ孝之たかゆきさんは1989年に入社し、1996年から朝比奈氏が亡くなる2001年までの5年間、リーチバーで接客をした。
「入り口から見て柱の向こう側のカウンターが先生の指定席でした。奥様と一緒にホテルのヘルスクラブを利用された後の夕食前に、よくお越しになっていました。プライベートでもジャケットを着用し、背筋をスッと伸ばして座っておられましたね。主にバランタイン17年などのスコッチウイスキーを、ストレートかロックでお飲みになっていました」

米寿を過ぎても悠然とウイスキーを楽しんだ朝比奈氏だが、若い頃は下戸だったという。

「先生のオーラは眩しすぎるぐらいでした。でも本当に謙虚な方で、江戸っ子の口調で『あんまり飲むとカミさんに怒られるんですよ』とおっしゃっていました(笑)。ふらっと来られて、すっと飲んで、さっとお帰りになるのが朝比奈先生流の過ごし方でしたね」

今度、岩野さんに大阪でお目にかかる機会があったら、あの指定席にご案内したい。

(文/中島 淳)

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