旅先やホテル滞在中に読みたい書籍を、さまざまな方の視点から紹介する連載。
Vol.5 選書:万城目 学さん(作家)
ご両親が大阪のリーガロイヤルホテルで結婚式を挙げたという万城目 学さん。小さい頃からホテル内のレストランに家族で食事をしに来たり、ロビーで横綱・北の湖関に抱っこされたというエピソードもお持ちで、リーガロイヤルホテルはとても親しみのあるホテルだという。そんな万城目さんに、ホテルや移動中、待ち時間などで読みたい、旅のお供にぴったりな一冊を聞いた。
先日、アメリカを一人で旅してきたのですが、アガサ・クリスティと安部公房とパレスチナが舞台の小説の3冊を持って行きました。でも、10ページも読めませんでした(笑)。というのも、僕は旅先でとにかく歩くんです。気づいたら1日35,000歩!なんてこともあって、ホテルに辿り着く時は、もうクタクタ。シャワーを浴びて、バタンキューで寝てしまうというパターンなんです。貧乏性なので、ホテルライフを楽しむというより、ギリギリまで歩いてあちこちに行きたいんですね。でも、旅のお供にする本を選ぶのは大好きで、書棚の前で2時間くらいかけてじっくり選びます。結局、旅先では大して読めなくて、帰り道、“この本、重たいなあ”とか後悔するのですが(笑)、本は一種の旅のお守りみたいな存在かもしれません。
長崎の北西部、お隣の韓国にわずか50㎞に位置する自然にあふれた国境の島、壱岐・対馬は2年ほど前に旅をしましたが、その時に、この『街道をゆく 13 壱岐・対馬の道』(朝日新聞出版)を持参しました。司馬遼太郎ファンの方には叱られるかもしれないのですが、『街道をゆく』シリーズは、旅のガイドブックとしてはあまり参考にはなりません。なぜなら、古すぎるから。でも、この参考にならないところが、また、いいんです(笑)。
対馬と壱岐は旧分国では違う国で、対馬は漁村文化、壱岐は農村文化で、島民気質もはっきり違います。司馬遼太郎も“二つの島は仲が悪い”と書いていますしね(笑)。本を読むと、対馬のタクシーの運転手さんは気性も運転も荒くて生きた心地がしなかったとか、壱岐の運転手さんは始終、穏やかだったとか。あと、対馬のおばさんに壱岐の人のことを聞いてみたら「壱州(壱岐)の人はね、ずるかですよ」「私ら対州(対馬)もんをバカだといいますけどね」と言ったあとに“のどちんこ”が見えるほど痛快に笑って、「バカとよばれるほうがよっぽどよかですよ」などなど書きたい放題です。こういう、人間描写とか、人の機微みたいなものが生き生きと描かれていて、面白いですね。一般的なガイドブックには、こんなことは絶対に 載っていないですから。
『街道をゆく13』では、朝鮮半島と日本との間に位置し、古来、日韓両国の歴史的な舞台であった壱岐と対馬の二つの島を司馬遼太郎が訪ね、思いを馳せている。イラスト/塩川いづみ
司馬遼太郎の『街道をゆく』の取材旅行は、編集者、画家、学者などの大人数の旅で、しかもタクシーでさっと行ってパッと見て帰るという、政治家の視察並みのタイトなスケジュールなのに、なぜ、彼はこんなにも濃い内容の一冊が書けるんだろう?というのが、ずっと不思議でした。僕は彼の何倍も時間をかけて、対馬と壱岐をまわりましたが、きっと彼の十分の一も書けないでしょう。でも、それこそが、彼の真骨頂なんですね。
ある場所を訪ねて、そこで古老に出くわして“ここは、たいした場所ではない”とか言われても、彼はそこで絶対に終わらせないんです。その古老の話から何らかのもの、たとえば武将や商人の名前とかを引っ張り出してきて、自分の知識とリンクさせて独自の歴史解釈へとどんどん展開していく。これこそ、まさしく、“司馬メソッド”ですよ。僕も含めて、このメソッドに多くの人がハマってしまうのではないでしょうか。彼自身の言葉と知識をバトンリレーのように繋げて、しかもそれを永遠に続けられるのはすごいですよ。それが『街道をゆく』という壮大なシリーズへと結実するのですから、これは、もはや「芸域」ですよね。
実は、仕事がらみで次の国内の旅先も決まっているのですが、『街道をゆく』シリーズの中にその地域の巻があるんです。もちろん、“司馬メソッド”な一冊は、絶対に持って行きますよ。まあ、結局、歩き過ぎて、本を読む間もなく、ホテルでバタンキューかもしれませんが…(笑)。
『街道をゆく13 新装版 壱岐・対馬の道』(朝日新聞出版)
『街道をゆく』は司馬遼太郎による紀行文集。1971年に『週刊朝日』の連載として始まり、彼が亡くなる1996年まで続いた。43冊目の「濃尾参州記」が最後となる。国内は北海道から沖縄、海外はアイルランド、オランダ、台湾などにも及ぶ。日本民族と文化の源流を探り、風土と人々の暮らしのかかわりを司馬遼太郎独特の目線で執筆している。
万城目 学(まきめ・まなぶ)
1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。在学中から小説を書き始め、化学繊維会社勤務を経て、2006年に『鴨川ホルモー』でデビュー。代表作『鹿男あをによし』『偉大なる、しゅららぼん』『プリンセス・トヨトミ』は次々と映像化もされ、大きな話題となる。2024年1月、『八月の御所グラウンド』で第170回直木賞を受賞。