2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』は、『源氏物語』の作者、紫式部の生涯が描かれています。『源氏物語』は京都を舞台にした恋愛物語で、全編54帖の中でも最後の10帖は主に宇治を舞台にしていることから、「宇治十帖」と言われています。今回は紫式部を題材にしたコミックエッセイの著者・井上ミノルさんと宇治を訪ね、『源氏物語』の裏話満載で案内してもらいましょう。
画像提供:平等院紅葉に縁取りされた阿字池越しに見る「平等院」の鳳凰堂は、まさに浄土の光景と言えます。
今回のテーマは『源氏物語』をめぐる宇治の旅。『源氏物語』が紫式部により書かれた長編小説だということは知っているけれど、「宇治とどう関係があるの?」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。主人公はご存じの通り容姿端麗な光源氏ひかるげんじですが、全54帖中、42帖以降は光源氏亡き後のお話。中でも最後の10帖は光源氏の息子・薫かおるを主人公に、宇治を舞台とした「宇治十帖」と呼ばれています。
先ほど「光源氏の息子・薫」と書きましたが、それは表向きのこと。実は源氏が晩年になって迎えた年若き正妻・女三宮おんなさんのみやと、源氏の長男(夕霧)の親友・柏木の密通の結果生まれた子です。自分の出生に疑念を抱いている薫は、どこか厭世的で憂いを漂わせた美青年。しかも彼は生まれつきすごくいい匂いがするので薫の君と呼ばれていました。いい匂いのする美青年で上流階級の息子、しかも陰がある。そんな彼を周りが放っておくわけがなく、しかしチヤホヤされればされるほど後ろめたい気分になってしまう彼は、「はぁ…この憂うし世俗から逃れて仏門に入ることができたら…」などと考えています。「憂し、うし、うじ、宇治」そうだ、宇治に行こう。というわけで舞台は宇治へ。冗談のような話ですが、和歌の世界でも「宇治」と「憂し」は掛詞になっていて、この時代、宇治は貴族の別荘地であると同時に仏道を連想させる場所でした。
今回の旅の最初の目的地「平等院鳳凰堂ほうおうどう」も、平安の大権力者・藤原道長の長男・藤原頼通が、この憂し世に西国極楽浄土を再現すべく建てた阿弥陀堂です。特に秋の紅葉の時期は格別で、紅葉の赤と御堂の朱、大棟に煌めく金色の鳳凰と青空のコントラストは、千年の時を超えて私たちの胸に迫る美しさです。
画像提供:平等院 写真左はミュージアム鳳翔館の雲中供養菩薩像。写真右が鳳凰堂の本尊、阿弥陀如来坐像(いずれも国宝)。
ミュージアム鳳ほう翔館しょうかんでは、まず国宝・雲中うんちゅう供養くよう菩薩ぼさつ像ぞうがお出迎え。これはご本尊の阿弥陀如来坐像の周りを舞い飛ぶように鳳凰堂内の壁に掛けられているもので、現在は半数の26躯が鳳凰堂から鳳翔館に移されているため、より近くで観ることができます。それぞれ雲に乗り合掌していたり舞を舞っていたり、鼓や笙、琴や琵琶などの楽器を演奏していたり。もとは切きり金かねをまじえて鮮やかに彩色されていたそうで、まさに極楽浄土もかくやという美しさだったことでしょう。 また、鳳凰堂の名前の由来でもある鳳凰像は初代のもの(国宝)が鳳翔館で展示されており(現在大棟に載せられているものは二代目)、間近で観られます。 ところでこの平等院、元は光源氏のモデルの一人ともされる河原の左大臣・源みなもとの融とおるの別荘だった場所。『源氏物語』にも夕霧(源氏の長男で、このとき右大臣)の宇治の別荘が出てきますが、ロケーション的にはまさにピッタリ。
写真提供:宇治市
宇治神社、宇治上神社と平等院に続く橘島・橘橋へ続く「朝霧橋」。橋の袂にあるのが宇治十帖モニュメント(写真左)で、ヒロイン浮舟と匂宮が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な情景をモチーフとされています。
そして物語の中で、宇治川をはさんで対岸にあったとされるのが、薫が憂き世から逃れるべく訪ねた八の宮の邸です。八の宮は源氏の異母弟ですが、かつて政争に巻き込まれて表舞台から姿を消した人。今は宇治の地で静かに仏道に専心し、俗聖(出家していない聖)とも呼ばれています。そんな彼に仏道の教えを請うために訪ねたはずの宇治で、八の宮の美しい娘たちを垣間見てしまった薫は、恋という俗世の憂し事の最たるものに捕らえられてしまうのです。
物語の中では八の宮邸と夕霧の別荘の間を船で行き来する場面が出てきますが、現代の我々は平等院から橘橋を使って中州へ、さらに朝霧橋を通って対岸へ渡ることができます。朝霧橋の袂には宇治十帖の登場人物、浮うき舟ふねと匂宮におうのみやの銅像が。浮舟は八の宮の三女で、匂宮は光源氏の孫で薫のライバルです。浮舟をめぐる薫と匂宮の恋のバトルは決着がつかずに終わるのですが、銅像に採用されているのは匂宮の方とは…。物語の主人公は薫なのに、ちょっと気の毒ですね。
1700年を超える歴史のある宇治神社。御祭神の菟道稚郎子命を、うさぎが振り返りながら案内したと伝わることから、「みかえりうさぎ」が境内のあちこちに。うさぎのおみくじは¥500。
さて、物語で八の宮邸があったであろう場所には、現実世界では宇治神社があります。上にある宇治上神社と元はひとつの神社だったそうで、学問の神様・菟道稚郎子うじのわきいらつこの命みことを祀り、宇治の氏神様でもあります。菟道稚郎子の道案内をしたといううさぎを象ったおみくじやお守りがあり、道案内のため振り返った格好のうさぎがとってもキュートですよ。
写真提供:宇治市 秋は紅葉が美しい「宇治市源氏物語ミュージアム」。写真右は貴族のマイカーともいうべき牛車が展示されています。
平安の間の右側には、室内で囲碁を打つ様子を御簾の外から垣間見る場面が再現されています。
次は、閑静な住宅地を通って「宇治市源氏物語ミュージアム」へ。ここでは『源氏物語』の一場面のような貴族の邸内や貴族の乗り物・牛車が実物大で再現されていたり、垣間見体験コーナーがあったり、光源氏の大豪邸・六条院の模型が展示されていたりと、『源氏物語』の世界をリアルに想像できる展示物がたくさん。学芸員の坪内つぼうち淳じゅん仁じさんに、「この牛車で京から宇治まで来ようと思ったらどれくらいかかるんですか?」と質問してみたところ、「だいたい6時間はかかるんじゃないでしょうか」という驚きの回答が。物語の中では、薫も匂宮も愛しい人になかなか会いに行けずやきもきするシーンが何度も出てきますが、それだけ時間がかかるなら仕方がないですね。その点、私たちは京都から宇治までJRで20分足らず。日常を抜けだして、どうぞ気軽に宇治十帖の世界に足を延ばしてみてください。
「雲上茶寮」の窓際の席では、お庭を眺めながら美味しいスイーツとお抹茶がいただけます。「抹茶チーズケーキ -雲隠-」(¥880)は、クラッシュクッキーを敷き詰めた白の柚子ムースと抹茶のチーズムースの最上層に濃茶をコーティングした抹茶のチーズケーキ。
ミュージアム館内の日本茶カフェ・「雲上うんじょう茶寮さりょう」に寄るのもお忘れなく。見た目も麗しい和菓子や日本茶スイーツ、日本茶ラテがお庭を眺めながら楽しめます。「抹茶チーズケーキ -雲隠-」を頂きつつ、「雲隠」と言えば『源氏物語』41帖、本文がないことで光源氏の死が暗示されているとされる巻名だなぁと思い至ります。甘く美しいだけでなく、ほろ苦い。源氏や薫の人生のようで、舌と心でしみじみと『源氏物語』の世界を味わう旅の締めくくりとなりました。
【DATA】平等院関白・藤原頼通が父・道長から譲り受けた別荘を寺に改め、1052年に開創。翌年には阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成。その堂内に安置されている、当時最高の仏師・定朝じょうちょうが制作した六丈の阿弥陀如来坐像など、1000年近く前に建立された建築物や仏像を目の当たりにできる。
宇治市宇治蓮華116
TEL 0774-21-2861
【DATA】宇治市源氏物語ミュージアム光源氏の邸宅であった六条院の縮小模型のほか、牛車、屏風、燈台など、平安貴族の乗り物や調度品が実物大で復元。また、テーマごとに分かれた展示ゾーンは、『源氏物語』の魅力を様々な映像で紹介している。宇治市宇治東内45-26TEL 0774-39-9300
雲上茶寮『源氏物語』を想起させるスイーツメニューや伝統の日本茶と新しい楽しみ方を発信。宇治市源氏物語ミュージアム館内TEL 0774-34-0466
井上 ミノルさん
イラストレーター&漫画家。大阪市在住。生来の国文好きを生かして、コミックエッセイ『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』や『もしも真田幸村が中小企業の社長だったなら』を刊行。最新作は『こどもが学べる地球の歴史とふしぎな化石図鑑』(いずれも創元社)。専門的で難しいことも、おもしろくてわかりやすいイラストで描くことでは定評がある。好奇心旺盛でお酒好きの二女の母。
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