長年にわたり‟食のロイヤル”たらしめるのは、本場フランスでのかけがえのない経験とスタッフのたゆまぬ努力。今回は、知られざるリーガロイヤルホテルの「ワインヒストリー」をお届けします。
当ホテルでソムリエとして、気付けば46年。今でこそ地下にあるワインセラーを自慢できますが、ここまでの道のりは大変でした。
初代シェフにフランス人のアンドレ・ルイ・ヴァンドルー氏を迎えて「レストラン シャンボール」がオープンしたのは、1973年。私が入社した翌年のことです。当時は1970年の大阪万博開催を契機に、フランス料理という文化を日本に根付かせたレストラン『シェ・イノ』創業者の井上 旭のぼるさんなど、フランス帰りの腕利きシェフの帰国と独立開業が相次いだ、日本のフレンチレストラン黄金期。後に当ホテルの社長になる廣瀬 昭三さんが、「この波に乗ってワインにも力を入れよう」と、それはもうみんなで意気込んで、いわゆる5大シャトーなどのワインを揃えるきっかけになりました。けれど、店には温度管理ができるワインセラーひとつなく、ワインラックだけ。ワインはコルクが乾燥したらいけないのでと、逆さにして保存していた時代でした。プロのフレンチシェフがいても、プロのソムリエはひとりも育っていない。それくらい、ワインに関する知識がゼロだったんです。
1990年 地下2階 ワインセラーにて
地下にも「レストラン シャンボール」にもワインセラーが備わったのは1980年頃です。その頃、私はソムリエとしてフランスに研修に行かせてもらいました。行き先は、レストランではなくワイナリー。フランスのワインを飲むことは、日本でもできる。現地でしか触れられないワインづくりを知るべきということでしたが、今でも得難い経験だったと思っています。
最初に滞在したのは、ローヌワインの有名産地、タン・レルミタージュというフランス南東部の町でした。当時人口6,000人ほどの小さな町に日本人は私ひとりでしたから、動物園のパンダ状態。日本人をひと目見ようと、色々な方が私を見に来られました。その次に訪れたのは、北東部のブルゴーニュ。フランスを代表する銘醸地ですね。気候がまったく違うから、造るワインも違うスタイルになる。そんなテロワールを肌で感じることもできました。
その後、アルザス地方、シャンパーニュ地方で研修を受け、パリの「ホテル・プラザ・アテネ」でソムリエ研修。お客様へのワインサービスも学ばせていただきました。最初に飲まれることが多い白ワインやシャンパンは、すぐにお出しできるようにレストランの冷蔵庫に置いておく。逆に、お食事の後半に飲まれる方が多い赤ワインはセラーからお持ちする。限られたスペースの中で適切なサービスをする術を学びました。
フランスといえば、想い出深い経験がもうひとつ。勉強を兼ねて食事にいったとある高級レストランでテイスティングしたワインが、どうもカビ臭かった。いわゆる劣化臭、ブショネがあったんです。それをソムリエに伝えたら「何も知らない日本人のクセに」と、最初は疑い気味で冷たい対応でした。けれど、味を確認して事実だったことがわかると「こちらのミスで大変失礼いたしました」と、ワインをすぐに取り換えてくれました。プロの対応だなと思いましたね。
ワイナリーでは、ブドウの収穫から圧搾、醸造、瓶詰めまでひと通り作業しながら生産者の方とも触れ合うことができました。この経験により、ワインの知識だけでなくワインに対する愛情も深くなり、その後の丁寧なサービスに自然と繋がったように思います。
1981年 パリ「ホテル・プラザ・アテネ」にて (ソムリエ研修先)レストラン中庭にてソムリエ仲間と共に
(帰国後のソムリエとしての奮闘ぶりは“後編”でご紹介します)
リーガロイヤルホテル マスターソムリエ 岡 昌治(おか まさはる)
1953年大阪生まれ。1972年3月、株式会社新大阪ホテル(現・株式会社ロイヤルホテル)入社。数々のワインコンクールで受賞経験を持つ、日本ワイン界を代表するソムリエ。チャーミングな笑顔とユーモアに満ちた気取らないトークにファンが多い。2003 年にフランスの食やワインの普及への貢献が認められ、「フランス共和国 農事功労章 シュヴァリエ」を、2011 年には黄綬褒章を受章。日本ソムリエ協会で約6年間の会長職を経た後、2016年より名誉会長に就任している。