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群青色の画面を、金色銀色に輝く魚の群れが渦巻くように泳いでいる。タイ、ハゼ、フグ、イワシ、マナガツオもいるし、アンコウ、フクロウナギなど深海魚や、海草がゆらぎ、ウツボ、イカ、タツノオトシゴがただよう。方形の縦横各1.8mもある大作で、何頭かイルカの姿も見えるほか、長い髪を両手でつかんだ人魚も、表情の細部は描かれていないが、無邪気で神秘的な物語を暗示する。
作者の平山郁夫(1930〜2009)は、尾道市瀬戸田町島に生まれた。魚たちは幼少時から平山の身近に存在しただろう。画家を志して東京美術学校(現・東京藝術大学)に進み、日本美術院の大家であった小林古径こばやしこけいや安田靫彦やすだゆきひこ、前田青邨まえだせいそんらに学ぶ。
画家としての転機となったのが、1961(昭和36)年、第46回再興院展の《入涅槃幻想にゅうねはんげんそう》(東京国立近代美術館所蔵)で日本美術院賞を受賞し、翌年にヨーロッパへ留学したことである。留学中に各地を訪れ、西洋の美術のバックボーンにキリスト教が存在することを実感し、ひるがえって日本の美術も東洋の伝統を担うべきという思いを強くするようになった。その思いは、インドに誕生した仏教を日本にまで伝えた仏教東漸の道と、東西の文明がまじりあったシルクロードへの憧憬へとつながり、薬師寺玄奘三蔵院やくしじげんじょうさんぞういんの《大唐西域壁画》(2000年)に結晶していく。
34歳の1964(昭和39)年、第49回再興院展で《仏説長阿含経巻五》とともに文部大臣賞を受賞したこの《続深海曼荼羅》も、欧州留学を経て東洋の美術を強く意識しはじめたころの作品である。
「曼荼羅」は、仏教の世界観を絵画化した仏画などでもちいられる用語である。宗派で異なるが、真言宗や天台宗などの密教には胎蔵界と金剛界から成る両界曼荼羅があり、浄土教には、極楽浄土を描いた浄土曼荼羅図、神道系にも垂迹曼荼羅や宮曼荼羅がある。深い海の中で躍動する無数の魚類を描いた《続深海曼荼羅》も、仏教絵画を踏まえながら、生命の歓びに充ちた世界をシンボリックに描いた絵画といえる。
そして群青色の画面のなか、魚群が光のように妖しく輝く表現は、金色の釈迦を弟子たちがシルエットで囲む《入涅槃幻想》の延長上にあるとともに、京都・神護寺の国宝《高雄曼荼羅》や、神護寺や中尊寺などの紺紙金字一切経など、紺地に金泥で描く技法を応用している。紺紙金字一切経は、平安時代の貴族の美意識を反映したものでもあるが、平山は《続深海曼荼羅》でも優雅で耽美的な小宇宙をつくりだす。
加えて《続深海曼荼羅》という“続”を冠した題名には、東洋美術への意識とともに平山のもう一つの思いがこめられている。「文化勲章受章記念 平山郁夫展」図録(1999年)で平山は、昭和39年に「芸大の上司の教官」が逝去し、供養のためにこの作品を描いたとする。当時の平山は東京藝術大学の助手であり、上司の教官とは同大学の助教授で、前田青邨に学び日本美術院同人でもあった須田珙中すだきょうちゅう(1908〜1964)である。
珙中は、1958 (昭和 33)年の第43回再興院展に、イシダイなどが群れ泳ぐ海を、日焼けした五人の海女が飛天のように潜る《深海曼陀羅》を出品している。平山にも印象深い一点だったのだろう。このイメージにつながる作品として“続”を冠した《続深海曼荼羅》を平山は、制作し、珙中の冥福を祈った。
ところでロイヤルホテルは、各地のホテルで様々な美術品を展示している。平山郁夫も本作品以外に、63歳の1993(平成5)年に嚴島神社を描いた《光燿嚴島》(リーガロイヤルホテル広島)を所蔵する。この絵にも認められるのは、まばゆい光と、平山の郷里・瀬戸内海への思いである。1985(昭和60)年には、《続深海曼荼羅》をもとに、魚群の中央に生口島にある国宝・向上寺三重塔がそびえた《瀬戸田曼荼羅》(平山郁夫美術館所蔵)も描かれた。
何れにしろ《続深海曼荼羅》は、後年、東京藝術大学学長や財団法人日本美術院理事長、ユネスコ親善大使などもつとめ、文化芸術振興にも尽力した平山郁夫の若き日を代表する名作である。
文/橋爪 節也・大阪大学名誉教授 日本東洋美術史
リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション
日本料理 なかのしま
TEL 06-6448-0354(直通)大阪市北区中之島 5-3-68 イーストウイング30階
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