リーガロイヤルホテル広島のエントランスを抜けると、真正面の2階へと続く階段の踊り場にその絵は飾られています。平山郁夫の「光燿嚴こうよういつく島しま」です。 金色に輝く空、朱塗りの柱が並び、潮が満ちた海の群青と松の緑青が美しい。タイトルにある「燿」は、焔ほのおが高く燃え上がり、光り輝くことを意味し、水上の廻廊に人影はなく、静かで穏やかな時が経過しています。 嚴島神社は、「平家納経」など国宝を多数所蔵し、1996(平成8)年に世界遺産に登録されました。描かれている建物は、本社とも廻廊でつながった摂社の客まろうど神社じんじゃで、二段になった祓殿はらいでんの軒先に建築的特色があり、背景には1407(応永14)年に建立された五重塔も見えます。 作者の平山郁夫(1930〜2009)は、現在の広島県尾道市瀬戸田町、生口いくち島に生まれました。東京美術学校(現・東京藝術大学)で、小林こばやし古径こけいや安田やすだ靫彦ゆきひこの指導を受け、前田まえだ青邨せいそんにも学びました。
1959(昭和34)年頃、原爆症らしき兆候があらわれて死を意識しますが、1961 (昭和36)年、第46 回院展の「入にゅう涅槃ねはん幻想げんそう」(東京国立近代美術館所蔵)で日本美術院賞を受賞します。翌年のヨーロッパ留学では、西洋美術がキリスト教を背景とするように日本美術は東洋の伝統を担うべきと考えるようになりました。1964(昭和39)年に34歳で日本美術院同人に推挙されます。「光燿嚴島」は1993 (平成5)年63歳のときに描かれた作品です。 平山にとって嚴島神社は特別な思いのある神社でした。嚴島と故郷の生口島は、 同じ市いち杵島きしま姫ひめの命みことを祀ることや「潮待しおまち」と呼ばれる船舶の待避港であったことが共通しています。さらに平山は、社殿建築に見られる寝殿造を「日本的様式美」 と認め、インドや中国とも異なる「日本の美学の極致」をそこに見いだしました (平山郁夫『日本建築の白眉・嚴島神社』より)。
平安時代の寝殿造では、建物の前に庭園が築かれています。平山の解釈では、 瀬戸内海を庭園の池、弥山を築山に見立て、寝殿造りを雄大に展開したものが嚴島神社であり、「スケールの大きさと計算し尽くされた建築構成」に感嘆させられるともに、「瀬戸内海の干満による差を利用した。朱の神殿が水に映る姿は、この世のものとは思えぬほどに美しい」と絶賛しています。
その思いから平山は、何度も違った角度から嚴島神社を描いています。「光燿 嚴島」も大下絵(平山郁夫シルクロード美術館所蔵)が残されるように周到な準備のもとに描かれ、「光燿嚴島」と対になる形で、静寂な月夜の嚴島神社を描く「月華嚴島」も制作しています。
ロイヤルホテルは、ほかにも紺色の背景に金や銀で魚を描いた「続深海ぞくしんかい曼荼羅まんだら」(1964年)を所蔵しています(リーガロイヤルホテル(大阪)「日本料理 なかのしま」個室に展示)。この作品も平山の美意識を伝える初期の名作です。
リーガロイヤルホテル広島
広島市中区基町6-78
TEL:(082)502-1121