GOURMET

マスターバーテンダーが語る「ロイヤルホテルのバー」

美味探訪Vol.3
リーガロイヤルホテル大阪
ヴィニェット コレクション
マスターバーテンダー 古澤 孝之ふるさわ たかゆき

 お酒を嗜むお客様に、“美味い一杯”を作り続けてきたマスターバーテンダーの古澤 孝之が、改めて「ロイヤルホテルの、バーの魅力」を語ります。

自作の「カクテル暗記帳」から始まった

 父親は、殺陣を得意とする舞台俳優でした。俳優業にも興味はありましたが、そこには行かず、漠然と「接客業」を考えていました。父親の用事でホテルを何度か訪れた際に、内装や制服などを見て「洗練された」「おしゃれ」という印象を受け、将来はホテルで働きたいと思い、高校卒業後は専門学校に進みました。

 専門学校時代、あるホテルのバーでウエイターのアルバイトを経験しますが、メニューを見たお客様から「このカクテル何が入ってんの?」と聞かれても答えられず、先輩に聞くと「ブランデーとコアントロー、レモンジュースだよ」と言われ、けれどお客様にそう答えても「コアントローって何?」と次を聞かれますよね(笑)。「知らない自分が悪い」と反省し、次の日すぐ書店でカクテルブックを買いました。

 本と向き合ううちに、一つひとつのカクテルが何をベースに何を加えて成り立っているかが見えてきました。「ジンをウオッカに変えたら作れるんだ」とか。それで英単語帳みたいな「カクテル暗記帳」を作ると、覚えるのが面白くなって。学校の勉強もこれくらい頑張っていたら、さぞかし成績も上がったことでしょう。今から考えたら惜しいことをしました(笑)。

働きたいホテルバーと「身近な目標」

 専門学校を卒業したら、本格的なホテルのバーで働きたいなという思いが強くなりました。すると10人に聞けば10人とも「それやったらロイヤルやろ」と。1980年代後半、大阪で格式のあるホテルはリーガロイヤルホテルともう1~2軒ぐらいで、新しいホテルが徐々に登場してきた頃です。

 狙うなら「一番いいところ」とリーガロイヤルホテルを志望しましたが、競争率が高いうえに新人がすぐバーに配属されるなんてなかなかない。専門学校の先生からは入社試験前に「何でもやりますと言うように」と釘を刺されましたが、面接では「バーで働きたいです!」とハッキリ言いました。そこは妥協したくなかったんです。

 1989年、無事に入社。最初の配属は最上階のスカイラウンジでした。リーガロイヤルホテルには1階のリーチバーや地下2階のセラーバーがありますが、当時はそれに加え、夜景とお酒を楽しめる場所として、スカイラウンジがあったのです。

 キラキラしたエスカレーターを上がると、そこからの夜景は西側も東側も息を呑むほど素晴らしい。けどそんな場所でも、仕事で毎日いたら飽きますよね(笑)。ホールが100席、カウンターが10席。私はカウンターに入れずホールでしたので、少々ストレスを感じていました。

 そのストレスを解消しようと、「今日は古澤くん出勤してんの?」というお客様からの問い合わせを増やそうと考えました。日々の仕事を工夫しながら働いていると徐々に認められて、念願のカウンターに入れるようになったのです。

未熟さを気づかせてくれたお客様

 でも、一つ実現したら新たに思うことが出てきて、「カクテルのレシピが古いな」とか「もっと権限を与えてくれたら良い差配ができるのに」とか。きっと毎日そんな不満げな顔で仕事していたのでしょう。

 ある日、目の前に座られた常連のお客様が、「ロイヤル辞めて独立したいんちゃうか」といきなり聞いて来られました。そのうえ資金援助まで申し出てくださったのです。舞い上がりました。しかし冷静に考えたら独立までのプロセスもどれだけお金がかかるかも分かっていませんでした。

 「有り難いお話ですが、ご期待に添えられる器ではありません」と丁重にお断りしたら、「あなたはまだここで勉強することがある、ということやね」と言っていただきました。お見通しだったのです。

 ほかのお客様からは、自分がレベルアップすることと同じぐらい「弟子を育てる」ことの大事さを説いてくださいました。接客に失敗してお客様から叱責されることもありましたが、若い頃から節目節目に大切なアドバイスをいただけるお客様には恵まれていました。幸運なバーテンダー人生の始まりだったと思います。

コンテストに出て気がついたこと

 当時のリーガロイヤルホテルでは先輩方がHBA(一般社団法人 日本ホテルバーメンズ協会)阪神支部の役員をしていて、カクテルコンテストに出場していたので、私も機会を狙っていました。コンテストに入賞したら、存在を知ってもらえるだけでなく「美味いカクテルが作れる人」だと覚えてもらえますからね。

 当社は大所帯なのでまず社内予選を勝ち抜かねばならない。それを経て阪神予選、全国大会へと進むのですが、全国大会に出場できない期間が続きました。そんな中でも東京の全国大会は必ず観に行っていました。「どんな人がコンテストを制するのか」を知りたかったんです。

 全国大会に駒を進められるようになったのは1994年。この時は、にんじんジュースを使った「プリミティブ・ラヴ」というカクテルで銀賞を獲りました。でもそこから優勝するまでには、もう少し時間が必要だったのです。

 コンテストには、そのバーテンダーの「人間性」が全部さらけ出されます。カクテルを作る所作や味づくりだけでなく、これまでに読んだ本や観た映画、絵とかも含めた美意識もすべて出ます。だからおもしろいし難しいと感じました。

オリジナルカクテルに必須の「2要素」

 1997年、「タカラジェンヌ」というカクテルで初めての優勝に輝きました。作品は、宝塚歌劇団を象徴する「すみれの花咲く頃」の歌からストーリーを考え、桂花陳酒けいかちんしゅをベースに、材料と見た目を考えました。飾りの部分をバランスよく整えることで、「美味しい」以上の価値を表現することができたと思います。受賞後、本物のタカラジェンヌの方が来店されて「おいしい」と言っていただいたことも印象深い出来事です。

 私は後輩たちには「コンテストには積極的に出場するように」と言っています。働いているホテルのバーだけでは世界が狭くなる。自分より上手い人間なんていくらでもいるし、そんな人たちと競い合うことで世界が必ず広がります。どんな動機でもいいんですよ。勝ったらもちろんうれしいですが、負けるのもまたいい経験になります。そこで「悔しい」と思う人は、必ず次の向上につながりますから。

 コンテストで大事なことは、オリジナルカクテルの「コンセプト」と「ストーリー」をどれだけ考えられるか、ですね。時間の半分はそれに費やしてほしい、といつも言っています。カクテルはもちろん美味しいことが前提ですが、その2つが明確だと、お客様にそれ以上の価値が伝わります。

 私は2001年にも優勝できましたが、2003年を最後に、競技者としてのコンテスト出場を終え、その後は後輩の活躍を後押しする役回りを務めています。以前お客様からいただいた「弟子を育てろ」というアドバイスがここで生きました。これまでに私が10年かかっていたことを後輩が5年で成し遂げられたら、それは私にとっての成功になると思うのです。

 「リーガロイヤルホテルはカクテルコンテストに強い」という流れは、後輩たちが担ってくれています。入賞した作品にはホテルが店頭用のPOPを作ってくれますし、それを見たお客様が「賞を獲ったカクテルを飲みたい」と注文してくださいます。ホテルでは私の時にはなかった「社長賞」という表彰制度も導入されて、ちょっと悔しいですが、「もっと上手くなりたい」と目を輝かせて大会に出る彼らを見ていると、若返りますね(笑)。

リーガロイヤルホテルを象徴する2つのバー

 ホテルの看板である1階のリーチバーは街中のバーに近い店だと思います。BGMは一切ありません。木の床と木製の椅子、民藝の作家たちの作品でおもてなしをします。お客様が来店される靴音や話し声も、バーテンダーがお酒を作る音もすべてが「リーチバーのBGM」です。

 世界的な指揮者の朝比奈 隆あさひな たかしさん(1908〜2001年)はそんな音も含めて楽しんでおられたようで、一杯だけ飲まれてサッと帰られる仕草がとても絵になるお客様でした。

 それに対して地下のセラーバーは、ホテルのグランドバーらしい140席のお店で、BGMはもちろんライブ演奏もあって、別室にカラオケルームも用意しています。多人数でお来しになっても、カウンターでひとり楽しむこともできるお店です。

 とくに自慢できるのは「専用の厨房」の存在ですね。お客様からフードのオーダーが来たら、ダイニングから出前してもらうのが他のホテルでは多いようですが、セラーバーではオードブルからグリル、デザートまで料理人が自前の厨房で作ります。大阪のホテルらしく、お好み焼きも人気ですので、ぜひ。

 コロナ禍を経てお客様の過ごし方が大きく変わってきてはいますが、私たちはそんな中でも「リーガロイヤルホテルに行けば美味い酒が飲める」という期待にお応えしていきたいと思っています。

「これからのホテルバー」のために

 大阪でも外資系ホテルがどんどん増えてきました。バーの性質も変わってきているように思います。バーを単独の店舗として構えるのは「非効率」で、広くてゴージャスな飲食スペースの一角にバーを置く、という考え方が広まってきました。

 そういった空間で提供されるお酒にお客様が満足すれば良いのですが、そうでない話も聞くことがあります。設備や内装にかけるお金と同じぐらい、「またあのお店に行きたい」と思わせる、バーテンダーの育成も大切ですね。

 怖いな、と思うのはお客様が「ホテルのバーなんてこんなもんだ」となってしまうことです。きちんとしたカクテルを作ってくれる人間がいなくなったら、ホテルのバーには誰も期待しなくなる。それで私自身は、リーガロイヤルホテルという枠を超えて、学ぶ機会になかなか恵まれない地方のバーテンダーを育成する講習会などにどんどん出かけて、指導するようにしています。

若い人はお酒を飲んでいる

 「若者は酒を飲まない」という誤解があるようですが、私の感覚では飲み方やスタイルが違うだけで、若い人たちが行くお店ではみなさん飲んでいます。昔のように、上司の方が若い部下の方を連れてお酒を飲みに行く機会が減ったのと、飲みに行くお店のジャンルが違う、それだけのことだと思います。

 私どもの店でもそんな光景は減りましたが、逆に若いカップルの方がご来店されることも少なくありません。カクテルを注文されると張り切って作ります。その時に、「美味しいな。また来たいな」と思っていただけるかどうかが私たちの勝負どころですね。

 バーテンダーは「何が求められているか」を常に問われる職業です。お客様が求めているものは千差万別で、「話がしたいな」と思ってお越しになった方への正解と、「一人で静かに飲みたい」と思っている方への正解は完全に真逆です。

 そこは何年やっても難しいところですが、常にまず目の前のお客様から「求められているもの」を把握して、満足していただくために全力を尽くす、ということしかありません。「求められているものに応える」という意味ではコンテストも通常営業も一緒ですね。飽きない、おもしろい仕事です。

 リーガロイヤルホテルのバーにお越しになったら、できればカウンターに座って、お酒を注文するだけでなく、バーテンダーに話しかけてみてください。これは断言できますが、けっこう面白い引き出しを、みんな持っていますよ。

(取材・文/中島 淳)

リーガロイヤルホテル大阪

ヴィニェット コレクション
料飲部 マスターバーテンダー
古澤 孝之

1968年大阪生まれ。1989年、株式会社ロイヤルホテル入社。スカイラウンジを経てリーチバーでチーフバーテンダーとなりマネジャーに昇進。その後、料飲部次長、兼務でレストラン シャンボール、カウンター割烹 みおつくし、日本料理 なかのしまのマネジャーを歴任し、現在はマスターバーテンダーとして勤務の傍ら、会社の枠を超えて後進の指導やホテルバー全体のレベルアップのために奔走。カクテルコンペでは1997年と2001年に国内大会で優勝。「無駄のない所作で魅せる」「美味い一杯を提供する」「お客様をリラックスさせる」の3つを兼ね備えた人。(一社)日本ホテルバーメンズ協会副会長。2016年、ホテルバーテンダーとしては初の大阪府優秀技能者表彰「なにわの名工」受章。2023年には仏シャンパーニュ騎士団「シュヴァリエ」叙任。著書に『カウンターの中から見えた「出世酒」の法則:仕事が出来る男は、なぜマティーニでなくダイキリを頼むか』(講談社+α新書)。

リーガロイヤルホテル大阪

ヴィニェット コレクション

リーチバー

TEL 06-6441-0983

大阪市北区中之島5-3-68 1階

リーガロイヤルホテル大阪

ヴィニェット コレクション

セラーバー

TEL 06-6441-0983

大阪市北区中之島5-3-68 地下2階

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