90THSTORY

[90周年記念]リーガロイヤルホテル90年の歴史を紐解く vol.5

 「賓客のための近代的ホテルを大阪に」。大阪政財界の要望を受け、「大大阪」を象徴するプロジェクトとして1935年にリーガロイヤルホテルの前身となる新大阪ホテルが誕生しました。以来、時代の変遷とともに常に進化し続け、伝統を築き上げてきたリーガロイヤルホテルの90年の歴史を辿ります。

ROYAL HISTORY vol.5 ~リーガロイヤルホテルグループとして新境地を開拓~

オンリーワンを目指して名称変更

 1980年代後半のバブル景気の中、ロイヤルホテルはチェーン拡大に乗り出します。「ロイヤル」という名称は一般的に使う形容詞・名詞であり、株式会社ロイヤルホテルが独占的に使うことはできませんでした。そのため、株式会社ロイヤルホテルと関係のないホテルやホテルチェーンによって全国で「〇〇ロイヤルホテル」などの似通った名称が使われていました。このようなことから、チェーン展開に際して新たなブランド名を命名することとなりました。

1990年より新しくなったロゴマークは世界的なグラフィックデザイナー松永 真氏のデザイン。

 それが、1990(平成2)年に発表した「リーガ(RIHGA)」です。このRIHGAは「Royal International Hotel Group & Associates」の頭文字からとられた造語とし、ホテルチェーンの名称をロイヤルホテルグループからリーガロイヤルホテルグループに改称しました(1)。

 また、同年は創業55周年にあたり、世界的マエストロである朝比奈あさひなたかし氏指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートの開催や御堂筋パレードの参加、大阪・鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会(花の万博)」では迎賓館や政府苑、国際陳列館内のレストランで料理とサービスを担当し、会期中は天皇、皇后両陛下(現・上皇・上皇后殿下)をはじめ花博名誉総裁の皇太子殿下(現・天皇陛下)にも三度のご来泊をいただいた記念すべき年となりました。

創業55周年記念事業として行われた朝比奈 隆氏指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団による「リーガロイヤルファミリーコンサート」。ホテルで挙式した500組1000名が招待された。

御堂筋パレードにも参加。

グループホテルの開業相次ぐ

 ホテルチェーン改称の1990(平成2)年にはリーガロイヤルホテル新居浜、1993(平成5)年リーガロイヤルホテル小倉、そして1994(平成6)年リーガロイヤルホテル広島とリーガロイヤルホテル早稲田が開業します。リーガロイヤルホテル広島は、前身の新広島ホテルと広島グランドホテルから引き継いだ地域随一のホテルとして、中四国最大規模の宴会場を有し、現在も大規模な祝宴や国際会議場の要所となっています。

広島城をイメージしたスタイリッシュな外観のリーガロイヤルホテル広島は、瀬戸内海の島々を望める地上約125mからの眺望と格式高い空間が自慢。

1994年4月、約2,000名が祝杯を上げたリーガロイヤルホテル広島の開業レセプションパーティの様子。

 また、同年に開業したリーガロイヤルホテル早稲田(2002年にリーガロイヤルホテル東京に改称)は、アメリカの著名デザイナーのジョン・グラハム氏による設計で、調度品に至るまでヨーロピアン・クラシック調で統一されたスモールラグジュアリーホテルです。どこをとっても絵になる格調高い空間は、映画やドラマの撮影地として使われています。

約1万坪の大隈庭園に隣接した、緑豊かなロケーションのリーガロイヤルホテル東京。

1994年開業時のガーデンラウンジ。

その後、京都グランドホテルをリーガロイヤルホテル京都に改称し、よりチェーンとしての「RIHGA」ブランドの浸透を図るために旗艦ホテルであるロイヤルホテルの名称も、1997年(平成9)年にリーガロイヤルホテルと改称しました。

 このように、次々と「RIHGA」の名を付けたグループホテルを開業し、21世紀を目前に控え、これまで以上にサービス業の真髄を貫こうと、全社あげて決意を新たにしたのです。

1995年にロイヤルホテルのタワーウイング特別客室階(ザ・プレジデンシャルタワーズと改称)と宴会場を改装。中でも最高級貴賓室「ロイヤルスイート」は2フロア吹き抜けの豪華なものとなりました。

1997年に誕生した「ザ・クリスタルチャペル」。

国際会議の舞台で重責を担う

1995年11月18日村山首相主催首脳晩餐会のスタンバイをするホテルスタッフ。

 ブランド名を改称後も、天皇陛下や皇太子殿下御来阪時のご宿泊場所としての役割はもちろん、国際会議においても主要会議の舞台としての役割を担いました。1995(平成7)年、APEC(アジア太平洋経済協力)大阪会議では、オフィシャルホテルとして指名されました。首脳主催晩餐会の開催に加え、米国、韓国、ニュージーランド、タイの4カ国の首脳・閣僚がご宿泊されました。期間中は、18カ国の全首脳・閣僚が出席される村山総理主催の晩餐会をはじめ、非公式首脳会議や多国間会議、二国間会議なども開かれ、リーガロイヤルホテルは世界的にも重要な舞台となりました。大阪城公園内の迎賓館以外で全首脳が出席される行事の会場となったのは、リーガロイヤルホテルだけという栄誉を受けたのです。

1995年11月17日、リーガロイヤルホテルの「光琳の間」で開催されたAPEC大阪会議の地元主催の歓迎レセプション。

APEC大阪会議で晩餐会に出席のため来館された村山首相。

このように、新大阪ホテル開業以来、今日に至るまで迎賓館ホテルの役割を担い続けていると言えるでしょう。そして、このAPECでの経験は、国の威信をかけた国際舞台でも、安心して重責を任すことのできるホテルとして認識されることに繋がりました。

 

(「~90周年を迎え新たなブランドを導入し、時代を超えて愛されるホテルへ~」は近日公開予定の「ROYAL HISTORY vol.6」へ)

〈参考文献〉

(1)・髙田 宏(大阪学院大学教授)徳江 順一郎(東洋大学准教授)「大阪のホテル史~歴史的な迎賓館ホテルを中心として」日本国際観光学会論文集(第30号)2023年

(文・道田 惠理子 / 140B)

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