「賓客のための近代的ホテルを大阪に」。大阪政財界の要望を受け、「大大阪」を象徴するプロジェクトとして1935年にリーガロイヤルホテルの前身となる新大阪ホテルが誕生しました。以来、時代の変遷とともに常に進化し続け、伝統を築き上げてきたリーガロイヤルホテルの90年の歴史を辿ります。
1973(昭和48)年、新館完成時のロイヤルホテル。
大阪ロイヤルホテルは高度経済成長の中、多くのお客様で賑わい、営業開始2年後の1967(昭和42)年には新館建設の構想が出始めます。1970(昭和45)年6月、大阪で開催された日本万国博覧会開催中に新館建設の記者会見が行われました。実際に建設工事が具体化し、工事が開催したのは1971(昭和46)年の3月からになります。
1972(昭和47)年、新館建設工事現場を視察された俳優の石原 裕次郎氏(当時のPR誌より)。
1971(昭和46)年、基礎工事中の新館ロイヤルホテル(現・タワーウイング)。
既存の本館(現、ウエストウイング)の東隣に地上30階、地下2階の新館を建設しようというもので、客室数は約1600室、収容客数は2600人となり、完成すれば帝国ホテルを抜いて日本、いや東洋一となります。
惜しまれつつ閉館を迎えた新大阪ホテル。
「新大阪ホテルさよならパーティ」の様子。
一方、大阪ロイヤルホテル新館建設を機に、1935(昭和10)年開業以来、大阪発の本格的な国際ホテルとして愛されてきた新大阪ホテルの営業終了が決まりました。38年間に約250万人のお客様が宿泊され、宴会場では7000組近いカップルの結婚披露宴が催されました。(1)名実ともに「関西の迎賓館」に相応しく、宿泊名簿には皇族、歴代総理大臣、閣僚をはじめ政界、財界、文化界、芸能界の著名人の名が並び、ヘレン・ケラー女史や俳優のマリリン・モンロー、アラン・ドロンなどもお越しいただいた新大阪ホテルは、1973(昭和48)年8月31日に歴史の幕を閉じました。
1973(昭和48)年9月28日に挙行された新館開業披露宴。
翌日の9月1日には、社名を「株式会社新大阪ホテル」から「株式会社ロイヤルホテル」に変更し、大阪ロイヤルホテルは「ロイヤルホテル」と改称。そして、9月29日に新館が完成し、敷地面積2万7996㎡、建築面積1万3010㎡、延面積12万7129㎡、地上30階、地下2階に広がりました。客室数は1565室、新館は2人部屋をメインとし、スイートも本館より多い31室としました。堂島川にそびえるベネチアンゴシックの建物の中で営々として培われてきた“新大阪ホテルのおもてなし”は、生まれ変わるロイヤルホテルに引き継がれることになったのです。
新館開業時のメインロビー。吹き抜けのラウンジへと続く広い空間には能衣装から着想した大緞通「万葉の錦」が敷かれ、足を進めると金蒔絵の柱が出迎えてくれる。これも吉田 五十八いそや氏デザイン( 縣あがた 治じ朗ろう 氏制作)で、平安朝時代の織物に使われた鳥をモチーフにした図柄は、繊細で力強く、艶やかであり奥ゆかしい。
この新生「ロイヤルホテル」は開業当時より、国内外の賓客からも高い評価を得てきたのがメインロビーから奥のメインラウンジへと続く空間でした。一歩足を踏み入れると、まず目を奪われたのが床を彩る豪華絢爛な万葉文様の大緞通。大阪ロイヤルホテル同様に設計は吉田 五十八氏によるもので、正面奥のメインラウンジまでの距離を感じさせまいとする吉田氏の意匠は、ダウンライトに浮かぶ緞通が柱の鳥模様の金蒔絵とあいまって、ロビー空間に華麗な雰囲気を醸し出しました。
「水と光と緑」がテーマのメインラウンジ。水の回廊、雲のようなシャンデリア、そして四季を彩る日本庭園が圧倒的な世界観を構築している。
そしてその奥のメインラウンジには雲がたなびくように金蒔絵の柱が並び、「曲きょく水すいの宴」を模した水の回廊は屋外の日本庭園につながり滝壺へと注がれます。メインラウンジの頭上には多田 美波みなみ氏による約25万個のクリスタルガラスを用いた紫雲のシャンデリアが輝き、はるかいにしえの「雅」が現代流に再現されているのです。
ロイヤルホテル新館開業時にオープンしたレストラン シャンボール(29階)。
セラーバー(地下1階)。
ロイヤルホテル新館開業当時の「パレロイヤル」。
新聞での全面広告。
新館誕生を機に、大阪ロイヤルホテル地下1階の「ロイヤルアーケード」は“ホテルの中に街を”をコンセプトに、欧米の一流ブランドを集めたショッピングゾーンにリニューアルしました。パリの歴史的建造物Palais Royal(パレロワイヤル)にちなんで「パレロイヤル」と名付けられました。パレロイヤルがオープンした昭和48年当時は、雑誌などでようやくエルメスなどのヨーロッパの一流ブランドが紹介され始めた頃で、ホテルの中に欧米の一流ブランドを揃えたファッションギャラリーはすぐに話題となり、「ロイヤルに行けばブランドが揃っている」と、ファッションに敏感なお客様の間で一大センセーションを巻き起こしました。
文化教室「エコール ド ロイヤル」のパンフレット(1978年)。
1984(昭和59)年、女優の高峰たかみね 秀子ひでこさんを講師に迎えたロイヤル文化講演会「この人に聞く」の会場風景。
また、このような新しい試みは相次ぎ、1975(昭和50)年には、「暮らしをより豊かに楽しむ学びの場を」と、文化教室や講演会が楽しめる「エコール ド ロイヤル」も13講座を皮切りにスタートしました。文化講演会「この人に聞く」では、俳優の森もり繁しげ 久彌ひさや氏(昭和59年)や漫画家の手塚てづか 治おさ虫む氏(昭和61年)、東京大学名誉教授の養老ようろう 孟司たけし氏(平成15年)など錚々たる方々が登壇されました。
「ヘルスクラブ」のプール。
1975(昭和50)年6月には、トータルに健康を考え実践する「ロイヤルヘルスクラブ」がスタート。当時、大阪では小規模なアスレチッククラブが2、3カ所あった程度でしたが、そんな時代に「健康」に着目し、室内プールやランニングトラック、マッサージ機器などを備え、経験豊かなトレーニングスタッフが「パーソナルプログラム」に基づき、トータルフィットネスエクササイズをマンツーマンの指導。また、ドクターによるメディカルチェックも受けられる本格的な態勢を整え、開業当初から入会待ちの方が絶えなかったほど人気を博しました。1987(昭和62)年には東館アネックス(現・アネックス)が完成し、当時としては日本最大級の屋内スイミングプールやパーキングの運営も開始しました。
ファッション、暮らし、健康、文化、、、。ロイヤルホテルは単に宿泊や食事で利用するだけでなく、新しいトレンドや文化を発信し提供する「街」としての魅力も備え、さらにお客様に愛されるホテルとなっていきました。
(「リーガロイヤルホテルグループとして新境地を開拓」は近日公開予定の「ROYAL HISTORY vol.5」へ)
(1)・郡司 茂『運うん鈍どん根こん 』(毎日新聞社刊)1977年
(文・道田惠理子 / 140B)