創業より90余年、ロイヤルホテルの歴史や、文学や映画で描かれたエピソードなど、ロイヤルを舞台にした物語の数々をご紹介します。
河井 寛次郎作品。左は「大皿」と呼ばれる「呉洲泥刷毛目鉢ごすどろはけめばち」。コバルトを主成分とする呉洲という釉薬を用い、泥漿でいしょうで表面にわざと柔らかい粘土を荒々しく塗りつけていて、冬の日本海の荒波のようである。右は「三色打薬扁壺さんしきうちぐすりへんこ」。展覧会ではお馴染みのカラフルな作品だ。
陶芸家で彫刻家・書家・随筆家の河井 寛次郎(1890〜1966)の孫で、京都・東山の河井寛次郎記念館の学芸員である鷺 珠江さぎ・たまえさんは、これまでにリーチバーを5回ほど訪れている。初回は1984年頃のお正月、祖母で寛次郎の妻であるつねさんと母の須也子さん(いずれも故人)の3人で宿泊した時のことだった。
鷺 珠江さん。「周りの人たちからは、『一度リーチバーに行きたい』とよく聞きます」視線の先には寛次郎の作品がある。
リーチバーには「扉」がない。昭和のクリエイター集団・民藝(民衆的工藝の略)の名だたる作品が奇跡のように集まった場所であるにもかかわらず、ホテルの廊下からひょいと入っていけるところが美術館ではなく「ホテルバー」ならではの設えだ。
リーチバーに行った人、前を通った人は思い出していただきたい。
まず目が合うのは、冒頭で紹介した正面奥にある大皿。赤みがかった濃いグレーが、近くに来ると深い青緑に映る。生命力と色気が感じられる。
鷺さんも、その時に母の須也子さんが思わず声にしたのを記憶している。
「『いやぁ、こんなところにもお父さんいるわ』って。河井が60代の時の作品だと思います。そして、入り口近くのこちらの2つは70代、晩年のものですね」
エントランスを入った右端にある2作品。右は「碧釉三口扁壺へきゆうみつくちへんこ」、左は「碧釉貼文扁壺へきゆうはりもんへんこ」。緑釉を調合し直した碧遊は時々でブルーにもグリーンにも発色したという。
リーチバーには、バーナード・リーチ(1887〜1979)の陶板画や濱田 庄司(1894〜1978)のジョッキ、棟方 志功(1903〜1975)の板画、芹澤 銈介(1895〜1984)の藍織などが絶妙のレイアウトで配置され、民藝ファンも酒場好きも通わせる空間になっている。
筆者は、作品の配置はリーチと濱田が2人で考え、河井に対する深いリスペクトを込めてあの場所にしたのではないかと推測している。
民芸運動を主導した美術評論家で思想家の柳 宗悦(1889〜1961)は、これという人物には必ず「京都へ行ったら河井のところへ行ってみては」と紹介していた。河井宅は国内外を問わず来客がひっきりなしだったという。寛次郎は作陶をしながら客をもてなし、交流を深めていた。
左から柳、河井、リーチ、濱田。1954年、千葉県の鋸山にて。飛び抜けて長身のリーチが座っているのが面白い。(河井寛次郎記念館提供)
珠江さんの母・須也子さんは、幼い頃から民藝の面々が自宅で歓談している声を聞いて育った。
柳 宗悦様、濱田 庄司様、バーナード・リーチ様などのお友達は、拙宅で泊まられる機会も多く、話も深更に及びました。長身のリーチ様の夜具は、足がはみ出さぬよう、母の手製の特別仕立てで、長さ二メートル以上もあり、その形から私は面白がって、八ツ橋のお布団と呼んでいたものです。(中略)父以外の御三方は、まるで清教徒のように煙草もお酒も全く召し上がりませんのに、父だけその例外で、子供の私には七不思議の一つでありました。(河井須也子『不忘の記−−父、河井寛次郎と縁の人々』青幻舎より)
リーチバーは「一人を除いて全員下戸」の集団によって生まれた。何とも不思議な話だが、全員が上機嫌なものづくり作家だったのと、「美術作品を展示する」のではなく「日常生活で使うものを飾る」という民藝らしいコンセプトに貫かれていた空間にすることが肝心だったので、酒を飲む云々については瑣末なことだったのだろう。
リーチバーの提案者である大阪ロイヤルホテル創業社長の山本 為三郎(左)と河井。山本は河井作品の熱心な蒐集家だった。1951年、河井 寛次郎の作陶30周年の展覧会にて(河井寛次郎記念館提供)
寛次郎の旧宅で工房でもあった河井寛次郎記念館を訪れると、「多国籍状態」の来館者に驚く。けれどせわしなく動き回ったり気難しい顔をしたりする人は誰もいない。元々が「美術館」ではなく人の住まいだったからかもしれない。
スリッパに履き替えれば庭にも出られるし、1920年に誕生した奥の登り窯「鐘溪窯しょうけいよう」まで見ることができる。作品を熱心に鑑賞し続ける人もいれば、囲炉裏のそばで、ただゆったりと座っている人もいる。過ごし方は自由だ。
河井寛次郎記念館。河井の設計で、大工だった兄が1937年に建てた。猫の「えきちゃん」も大人気だ。
「ここで寛次郎がリーチや柳、濱田たちと遅くまで語り合ったのか……」
柱時計の振り子の音、東山から吹く風が窓を揺らす音、そして来館者のゆっくりした足音や話し声など、心地よいざわめきに彩られている。もちろんBGMなどはない。
リーチバーもホテルの廊下から聞こえてくる音や、お酒を作る音、ゲストの話し声などの適度な「ざわめき」以外は聞こえない。両者に共通しているのは、河井 寛次郎や上機嫌なクリエイターによってつくられたパブリックな「民藝」空間であることだ。
嵐山の法輪寺にて鷺さんと寛次郎。鷺さんは寛次郎を「喜怒哀楽の『怒』がなくて、怒る代わりに諌めたりたしなめたり。人には優しかったけど自分には厳しい人でしたね」。(河井寛次郎記念館提供)
いずれも、日本の美術工芸の傑作を集めた空間だが、記念館にしてもリーチバーにしても、その価値は作品の値打ちから超越したところにあるような……。河井が記したこの一文こそが、すべてを物語っているのではないだろうか。
人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。そして物からは最後の結果に打たれるものだと錯誤しがちである。しかし実は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ。(河井寛次郎『火の誓い』講談社文芸文庫より 序)
(文 / 中島 淳 )
リーガロイヤルホテル大阪ヴィニェットコレクション
リーチバー
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