90THSTORY

[90周年記念]リーガロイヤルホテル90年の歴史を紐解く vol.3

「賓客のための近代的ホテルを大阪に」。大阪政財界の要望を受け、「大大阪」を象徴するプロジェクトとして1935年にリーガロイヤルホテルの前身となる新大阪ホテルが誕生しました。以来、時代の変遷とともに常に進化し続け、伝統を築き上げてきたリーガロイヤルホテルの90年の歴史を辿ります。

ROYAL HISTORY vol.3 ~「ロイヤル」の名に込められた夢と誇り、大阪ロイヤルホテル開業~​

現在の地、中之島5丁目に新ホテルを開業

 新大阪ホテルが再開業する1952(昭和27)年では、大阪市内で賓客が泊まることのできるホテルは新大阪ホテルが接収期間中の対策として作った東邦ホテル(市内博労町 / 1949~67)と新大阪ホテルの2軒のみでした。

 敗戦後の経済もようやく復興の兆しを見せ始め、アメリカ人を主流とする海外からの訪日客も増える中、1958(昭和33)年に新大阪ホテルが同じ中之島で第3のホテルとして開業したのが大阪グランドホテルです。この建物は朝日新聞社によるもので、ホテル・オフィス・フェスティバルホールなどが一体となったものでした。

 大阪グランドホテルを開業後も、新大阪ホテルと大阪グランドホテルの宿泊稼働率は常に90%を超え、1964(昭和39)年の東海道新幹線開業などによる大量高速輸送時代の到来や同年の東京オリンピック開幕を控え、客室不足が懸念されていました。

 このような経緯から1961(昭和36)年に新大阪ホテルによる新ホテル建築プロジェクトがスタートします。建築候補地は当時、製紙会社の倉庫街となっていた大阪市北区玉江町2丁目1番地(現・中之島5丁目)の堂島川南が、現在のリーガロイヤルホテル大阪の敷地の一角です。

 倉庫街ということで難色を示す声もあがりましたが、朝日麦酒(現・アサヒビール)を創設し関西の財界を代表する人物であった当時の社長の山本 ため三郎さぶろう氏は、中之島に新ホテルを建設することで、大阪発展の起爆剤にしたいと考えていました。それは、中之島という土地が大阪駅や本町というビジネスの中心地に近く、かつて高松藩の蔵屋敷であり、大阪大学工学部の前身「大阪高等工業学校」の跡地でもあった場所を再開発することでした。(1)

新ホテル名称審査会の様子。

 新ホテルの名称は、新聞公募をすることに。審査委員は正田 健次郎氏(大阪大学学長)、湯川 秀樹氏(ノーベル物理学賞受賞者)、吉田 五十八いそや氏(建築家)、バーナード・リーチ氏(陶芸家)など錚々たる顔ぶれで、大阪市民を中心に9万通近い応募の中から「大阪ロイヤルホテル」に決まりました。また、キャッチフレーズは、社内募集でつねはら久彌きゅうや料理長に師事する米津よねづ春日はるび氏による「世界に通う夢と味」が選ばれています。

堂島川からの大阪ロイヤルホテル。

高松宮妃殿下(写真中央)による大阪ロイヤルホテル開業式のテープカット。

 1965(昭和40)年10月9日に竣工式、および、高松宮同妃両殿下ご臨席の下に開館式を挙行し、10月11日に開業します。

ロビー

ロイヤルガーデンルーム

宴会場「ダイヤモンドルーム」

 ロイヤルガーデンルームには流れのある池を配した日本庭園があり、竹林には江戸時代の報恩寺型石灯籠。意匠設計は、日本建築の大家で文化勲章受章の吉田 五十八氏らによるものです。館内には、新大阪ホテル時代から引き継がれた文化価値の高い絵画などの美術品がそこここに飾られ、4つのバーと7つのレストランも人気を博しました。

大阪ロイヤルホテルのロゴマークは、「民藝」の名匠である芹澤 銈介せりざわけいすけ 氏によるデザイン。大阪ロイヤルホテルの頭文字ORHがデザインされている。

開業当初のリーチバー。

 1階のリーチバーは、英国の陶芸家バーナード・リーチ氏の着想をもとに吉田 五十八氏が意匠設計し、河井かわいかん次郎じろう氏、濱田はまだ庄司しょうじ氏など「民藝」の名匠が参画しました。

 また、同年12月には地下1階に当時ホテルとしては珍しい「ロイヤルアーケード」を完成させ、フラワーショップやギフトショップなど9店舗が開店しました。

 新大阪ホテル初代支配人で1966(昭和41)年に大阪ロイヤルホテル社長に就任する郡司ぐんじしげる氏は著書『うんどんこん』(毎日新聞社刊)で、開業時の大阪ロイヤルホテルについて、以下のような熱い思いを記しています。

 「『大阪にこんな立派なホテルを建てていただいて、大阪人のわれわれもこれで肩身の広い思いをしますよ』と、ある大阪財界の巨頭が私の肩を抱いていった。私はこみあげてくるうれしさを抑えるのに懸命だった」

 「こんなに各界の権威、有力者に喜んでもらって有難いことだ。期待を裏切らないよう、これから一層心してサービスの向上に努めねばならない。ロイヤルを繁栄させることで、永年お世話になった大阪へのご恩返しをしよう」

 このように大阪ロイヤルホテルは新大阪ホテルとともに皇室・海外からの賓客をお迎えする迎賓館ホテルの役割を担いつつ、同時に「ロイヤル」という名に込められた大阪の夢や誇りを胸に、幅広いお客様に愛されるホテルとしてスタートしたのです。

(「ファッション、文化、健康…ロイヤルという街-新館誕生-」は近日公開予定の「ROYAL HISTORY vol.4」へ)

〈参考文献〉

(1)・髙田 宏(大阪学院大学教授)徳江順一郎(東洋大学准教授)「大阪のホテル史~歴史的な迎賓館ホテルを中心として」日本国際観光学会論文集(第30号)2023年

(文・道田惠理子 / 140B)

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