人間の本性を炙りだし、底なし沼のような深読みができる芥川龍之介の短編集
ホテルで1冊
旅先やホテル滞在中に読みたい書籍を、さまざまな方の視点から紹介する連載。
Vol.7 選書:久坂部 羊さん(作家・医師)
作品において「老い」「死」「命」を問い続ける久坂部 羊さん。パプアニューギニアなど、世界3カ国の在外公館で医務官の経験を経て、帰国後は高齢者医療に従事した後、現在は作家業に専念している。長年の海外生活をはじめとして、旅慣れた作家は旅先にどんな一冊を持っていくのだろうか。
時代を超えて人々の心に響く芥川文学
ホテルに泊まる時は出張が多く、携える本を選ぶ時は、長編は読み出したら寝られないので短編集が多くなります。数ある短編集の中でも、今回は読み手によっていろいろな解釈ができる芥川龍之介の短編集を選びました。
芥川の短編小説は『今昔物語』から題材を取っているのですが、だからといって内容をそのまま借用して使っているのとは全然違います。時代や世の中がいくら変わっても、彼の小説は、人が生きる上で大切な、さまざまな本質に迫ってくるものだと思います。
例えば、老若男女が知っている有名な『鼻』という作品は、京都の僧・禅智内供が、自分の長い鼻を気にかけて日々暮らしていたところ、弟子が鼻を短くする方法を見つけてきて試すことに。鼻は一時的に短くなり、喜んで町に出た主人公は、なぜか人々が彼の顔を見て笑うので、落ち着かない心持ちになります。しばらくして鼻が元の長さに戻ると、笑われることはなくなり、主人公は安堵するという話です。
これを深掘りして読んで見ると、私はこの話は、今の美容整形の問題にも通じると感じるのです。目が細いから二重にしたいとか、鼻を高くしたいなどの理由で美容整形手術をするとします。「これで理想の自分になれるはず!」と本人は思うのですが、周囲に整形したことが分かるのではないかと、かえって人の目が気になることもあるでしょう。仮に美容整形がうまくいったとしても、もっと目を大きくしたいとか、エラを削りたいとか、人は次々と欲望が湧き出てくる生き物なので、だんだん顔自体が不自然になってしまう人も少なくないようです。私の穿った見方かもしれませんが、美容整形で顔を変えることへの意味を問う作品ではないかな?と思うんです。こんなふうに時代を超えて、本質を突いてくるあたりが芥川の凄さ、力量だと感じます。
『トロッコ』という話では、トロッコに憧れている子供が、おじさんたちに頼んでトロッコに乗せてもらうことになります。トロッコに乗っている時はとても楽しかったのですが、行き着いたところで「我はもう帰りな」と冷たくされます。子供は突然、楽しいところから暗い夜道を自分1人で帰らないといけないという、危険で命がけの状況に追い込まれてしまうわけです。これは人生、誰にでも当てはまることで、日々楽しく暮らしていても、突然、恐ろしい状態に直面することがある。たとえば自分や家族が癌の宣告を受けるなど、思わぬ状況に巻き込まれるということは、決して起こらないことではありません。
一瞬にして楽しい日常が暗転してしまう、それは誰にでも起こりうるという恐怖を『トロッコ』は伝えていると思います。作品の最後で、子供がなんとか無事に家に帰って大泣きをしますが、彼の気持ちがとてもよくわかり、こちらもほっとしてしまいます。
芥川の代表作『羅生門』は、職を失った下人が羅生門の下で雨宿りをしていたところ、「生きていくために仕方ない」と楼上で死体の髪を抜く老婆に出会い、下人もまた「自分も生きるためなのだ」と老婆の着物を奪って逃げるという話です。人はエゴイズムによって善と悪が一瞬で入れ替わるという、人間の弱さとか怖さといった本質を突いている作品だと思います。『藪の中』は、ある殺人事件の証言を求められた7人の証言が真っ向から食い違っていきます。自己中心的な考えや保身によって、真相はますます藪の中に入っていくという話です。
作品を通して医療現場を考察。
私は医者なので、芥川の作品を通して現代の医療現場のさまざまな問題を考えることがあります。たとえば、患者さんが納得のいく治療方法を選択することができるように、現在診察を受けている主治医とは別の医療機関の医師に「第2の意見」を求めるセカンドオピニオンにしても、その意見を聞いて全てが良い方向に行くとは限りません。人間は情報が多くなるほど迷ってしまうこともありますし、「どちらがいいのか?何が真実なのか?」とまさに藪の中に入ってしまうわけです。『羅生門』の作品から安楽死の問題を考えると、「安楽死は反対」という人も、自分自身が治る見込みが全くない病にかかり、ただ苦しいだけの人生が続くという状況に陥った場合は、どのような心境になるかはわからないと思います。
芥川の短編は、『今昔物語』の話を題材にしながらも、それをただ面白おかしく伝えるということではなく、人の本性を見つめる彼の、冷静でちょっとシニカルな目線と独自の解釈があるんです。だからこそ、一つ一つの作品が底なしの沼のような深みを内包していて、それに魅了されてしまうのかもしれません。作品の裏側や奥底をちょっと覗き見したくなるような気配が密やかに満ちていて、これらの短編をきらりと輝かせているのだと思います。
本を片手に、芥川の底なし沼の世界に心地よく落ち込んで、深読みしつつ、あれこれ考え始めたら、目が冴えて寝つけなくなるかもしれませんよ。みなさん、ご注意を……(笑)。
『芥川龍之介 名作ベストセレクション「羅生門」「鼻」「芋粥」「蜘蛛の糸」「河童」「或阿呆の一生」など』 Kindle版(ゴマブックス)
明治の文豪、芥川龍之介の傑作30作品を収録。『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』『トロッコ』といった代表作はもちろん、芥川龍之介の佳作も多数収録。
久坂部 羊(くさかべ・よう)
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)(麻酔科)、神戸掖済会病院(一般外科)で勤務の後、サウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニアの在外公館で医務官として勤務。帰国後、同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年『廃用身』で作家デビュー。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。2015年「移植屋さん」で第8回上方落語台本優秀賞を受賞。ドラマ化されベストセラーとなった『破裂』『無痛』『神の手』の他、小説に『テロリストの処方』『介護士K』『芥川症』『怖い患者』『絵馬と脅迫状』など著書多数。最新作は心臓移植をめぐる理性と感情の葛藤を描いた『命の横どり』。